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凡河内国造 (河内・和泉・摂津 )

おおしこうちのくにのみやつこ・おおしかわちのくにのみやつこ【国造】


[凡河内国造 (河内・和泉・摂津 )]
神武天皇(1代)の時代、彦己曾保理命(ひここそほりのみこと)が最初の凡河内国造に任じられたことに始まり、河内国・摂津国・和泉国(現・大阪湾周辺)を支配した。「凡(おおし)」を有する姓は広領域を支配した豪族を意味し、凡河内氏は渡来人の統率・諸外国との外交に活躍し、畿内中心に巨大な勢力を有する古代豪族であった。彦己曾保理命は天津彦根命の裔孫であると言われ、子孫である凡河内躬恒は三十六歌仙の一人、また古今集撰者の一人として有名である。国造家後裔は播磨国飾磨郡広峰神社祠官家として現代も存続している。