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闘鶏国造 ( 倭 )

つげのくにのみやつこ【国造】


[闘鶏国造 ( 倭 )]
大和国北東部の古代国・闘鶏(つげ、現・奈良県奈良市旧都祁村)は闘鶏氏が統治しており闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)が置かれた。闘鶏氏は神武天皇(1代)の皇子で神祇の奉祭者となった神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔だという。闘鶏(都祁・都下・竹渓・都家)は大和朝廷に統一されるまで独自の文化を有する国であり、都介野地域最大規模の三陵墓東古墳は闘鶏国造の墓と見る説が有力である。「日本書紀」によると允恭天皇2年(413年)、闘鶏国造は、在位前の允恭天皇皇后の忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)に対して無礼があり、死罪を一等免じて稲置姓(地方官)に格下げされ、闘鶏稲置大山主になったという。