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秩父宮

ちちぶのみや【宮家】


[秩父宮]
大正天皇の第二皇子・淳宮が大正11年(1922)に20歳で成人式を行い、宮家を創立。宮号は、武蔵国の名山・秩父嶺にちなんで選定された。昭和15年(1940)に肺結核と診断され、終戦時には御殿場別邸にて療養中であった。戦後は療養生活を送りながら執筆活動を行ったが昭和28年(1953)1月4日、病状が悪化して療養先の神奈川県藤沢市の鵠沼別邸にて50歳の若さで死去だった。42年後の平成7年(1995)8月25日、妻・勢津子の薨去により子のなかった秩父宮家は絶家となった。