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竹田宮

たけだのみや【宮家】


[竹田宮]
北白川宮能久親王の第1王子・恒久王が明治39年(1906)に竹田宮の宮号を受けて創設した宮家。明治天皇の皇女・昌子内親王と結婚し、陸軍少将に進むが38歳で死去。10歳で跡を継いだ2代恒徳王は、昭和22年(1947)に皇籍を離脱。体協専務理事、オリンピック東京大会組織委員長、国際オリンピック委員会(IOC)委員を歴任し、「プリンス・タケダ」として国際スポーツ界で知られた。平成4年(1992)、82歳で死去した。