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北白川宮

きたしらかわのみや【宮家】


[北白川宮]
出家して信仁入道親王と称していた伏見宮邦家親王の第13王子・智成親王が明治維新によって還俗。北白川宮と改称したが明治5年( 1872)に17歳で薨去。結い弧線により兄の能久親王が2代目となった。以後、3代が能久親王の第3王子・成久王。4代永久王は成久王の第1王子。5代道久王は永久王の第1王子で、昭和22年(1947)に皇籍を離脱して北白川道久を名乗る。北白川宮家は能久親王、成久王、永久王と3代続けて戦死や事故死と不幸が続いたことから「悲劇の宮家」ともいわれた。宮邸跡地は高輪プリンスホテル及び衆議院議員宿舎となっている。