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閑院宮

かんいんのみや【宮家】


[閑院宮]
「系統を絶やさないために、将軍家に御三家があるように、天皇家においても宮家があるべきだ」という新井白石の建言によって創立された宮家で、江戸中期・東山天皇の皇子・直仁親王を始祖とする四世襲親王家の一つ。宮号は平安期の清和天皇の皇子・貞元親王が閑院を号したことに由来するといわれているが定かではない。第七代春仁王が昭和22年(1947)に皇籍を離脱して閑院氏を名乗り、名も純仁と改名したが、昭和63年(1988年)に85歳で亡くなると宮家も断絶した。