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聖護院宮

しょうごいんのみや【宮家】


[聖護院宮]
出家して雄仁入道親王と称した伏見宮邦家親王の第2王子・多嘉宮が、慶応4年(1868)明治維新に際して還俗し、聖護院宮を称した。2代は伏見宮邦家親王第13王子・泰宮親王。明治3年(1870年)宮号が旧門跡との区別がつけにくいとの理由で北白川宮に改称する。明治5年(1872年)正月没。17歳。遺言で兄に当たる能久親王が北白川宮を相続した。