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玉川宮

たまがわのみや【宮家】


[玉川宮]
長慶天皇の皇子の一人(名前未詳)を始祖とする南朝の系統の宮家の一つ。宮号は住まいがあった紀伊国玉川宮(現和歌山県九度山町)にちなんだもの。玉川宮の娘・東御方が足利義教の側室の一人だったとされることから、室町幕府に対しては必ずしも対立する立場ではなかったかもしれないが、南朝関係皇族の一掃を意図する幕府によって出家させられた。同じ南朝系の小倉宮家以上に系譜や行動には不明な点が多く、享徳4年(1455年)2月28日、玉川宮末孫とされる梵勝(相国寺慶雲院主)とその弟・梵仲が逃亡し行方不明となったという史料がみられるのみである。