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木寺宮

きでらのみや【宮家】


[木寺宮]
後二条天皇の皇子である皇太子・邦良親王を始祖とし、初代はその嫡男・康仁親王。康仁親王は光厳天皇(持明院統)の皇太子に立てられたが、1333年に鎌倉幕府が滅亡し、流されていた隠岐島から後醍醐天皇が京都に還幸すると光厳天皇の即位は取り消され、同時に康仁親王も皇太子を廃された。常盤井宮家に次ぐ鎌倉時代の世襲親王家とされ、康仁親王の後は邦恒王・ 世平王・ 邦康親王と3代を経て室町時代中期まで存続したが、経済的に衰微した後は、遠江国に移ったともいわれる。宮家号の由来は、邦良親王以下の代々の殿宅が洛西の葛野郡木寺にあったことによるという。