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要害山城(山梨県)

ようがいやまじょう【城】


[要害山城(山梨県)]
甲斐守護職の武田信虎が永正16年(1519)に造営した躑躅ヶ崎館の詰の要害としてその翌年に築かれた。その後、天正18年(1590)の小田原の役後家康が関東に移封されると、甲府には羽柴秀勝が任じられ、甲府城を完成させて移ったため躑躅ヶ崎館は廃城となり、要害山城も慶長5年(1600)に破却された。