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盛岡城(岩手県)

もりおかじょう【城】


[盛岡城(岩手県)]
会津若松城、白河城と並んで東北の三名城址ともいわれ、南部氏の居城として明治まで14代続いた。盛岡市の中心部の花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城で、西を流れる北上川と南東部を流れる中津川を天然の外堀としていた。本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ朱塗りの橋が架かっている。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配された。本丸には天守代が築かれたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に三階櫓が建造され代用とされた。白い花崗岩で組まれた石垣はみごとで、建造物は明治初頭に解体され、城内に移築された土蔵と、市内の報恩禅寺に移築されたとされる門が残る。