修正依頼



宮津城(京都府)

みやづじょう【城】


[宮津城(京都府)]
天正6年、織田信長の命により細川藤孝と明智光秀は丹後に侵攻し、建部山城主一色義通を滅ぼして丹後を平定した。その功により細川藤孝は丹後一国の領主となった。天正7年、藤孝は宮津城を本城として築き、その後、元和8年、京極高知の嫡男高広が宮津城を居城とし、荒廃した宮津城を新造するほどの大改修を行った。京極氏は、2代高国の時改易となり、以後永井・阿部・奥平・青山氏と目まぐるしく城主は代わったが、宝暦8年に松平(本庄)資昌が入封すると、以後7代続いて明治に至った。