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水口城(滋賀県)

みなくちじょう【城】


[水口城(滋賀県)]
別名・碧水城。関が原の後、徳川幕府はこの地を直轄地とし、寛永9年(1632)、3代将軍家光が上洛するのに伴い、小堀遠州が作事奉行となり、延べ10万人の大工を動員して宿館として築城した。構造は平城で、堀と石垣で囲まれた本丸とその北側に管理・警護施設の二の丸からなる。本丸はほぼ正方形で東に出丸を持ち、御殿と四隅に櫓を配したものであった。殿舎は、京都・二条城に共通した、数奇を凝らしたものだったという。家光上洛後は番城として幕府の管理下におかれたが、天和2年(1682)には加藤明友(伊予松山城初代藩主・加藤嘉明の孫)が入封し、明治維新まで、加藤氏11代(通算)の居城として使用された。