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箕作城(滋賀県)

みつくりじょう【城】


[箕作城(滋賀県)]
応仁・文明の乱のとき、佐々木政堯が従弟佐々木高頼の観音寺城に対し、室町幕府の内書を受け箕作山に築城したことに始まる。天文19年(1550)に六角定頼が改修したとされ、佐々木政堯が築城した清水城と六角定頼が築城した城が同じ城であったかどうかは不明。永禄11年(1568)上洛をめざす織田信長の近江侵攻により、観音寺城と共に落城、その後は廃城となった。