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光岡城(大分県)

みつおかじょう【城】


[光岡城(大分県)]
貞和6年に、大内氏に臣従していた当地の地頭・尾種綱によって築かれた。弘治2年に大友義鎮が豊前に侵攻すると、赤尾賢種は大友氏に降ったため、後に近在の城井鎮房、長野統秀、時枝鎮継らに攻められて赤尾氏は滅んだ。城は、天正16年の豊前一揆後、最発を防ぐために廃城となった。