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平石城(大阪府)

ひらいわじょう【城】


[平石城(大阪府)]
この地の豪族平岩茂直が、楠氏の赤阪挙兵に応じて築いた城で、元弘元年(1331)赤阪城攻略に向かう関東軍は、平石峠を越えて大和から河内に進入したが、茂直はこの城に拠って防戦した。その後正平14年(1359)、足利勢が河内に攻め入った時、楠木正儀は17の城を整備してこれを防ぎ、この城も17支城の一つとして修築して茂直の子茂幸が防戦した。中世の城として、その遺構がよく残っている。頂上が本丸跡で、本丸の入口両方から谷が迫って首のように細くなっている所が木戸跡である。周囲の山で平になっている所が出丸の跡である。