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白地城(徳島県)

はくちじょう【城】


[白地城(徳島県)]
南北朝時代に築かれた城で築城主は近藤京帝と伝えられ、子孫は大西氏を称した。大西覚養が主のときの天正4年、土佐の長宗我部元親に追われ、白地城は大修築されて長宗我部氏の四国統一の拠点なった。天正13年、豊臣秀吉の四国進攻のとき廃城となった。