修正依頼



野田城(大阪府)

のだじょう【城】


[野田城(大阪府)]
東側は比高が10m以上もある西除川の谷で、北・西・南の三方は旧西除川の谷間や、それをせき止めて造った轟池などの溜池で取り囲まれた、一辺約200mのほぼ方形に近い独立した台地上にある。築城は嘉暦元年(1326)、楠木方の武将であった野田四郎正勝によって行われた。しかし延文元年(1356)、孫の兵部正康が北朝方との戦いに敗れ、城に火を放って廃城となったといわれている。