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名護屋城(佐賀県)

なごやじょう【城】


[名護屋城(佐賀県)]
豊臣秀吉が、朝鮮出陣の補給線拠点として天正19年に黒田如水、黒田長政、加藤清正、小西行長に命じて築城した。慶長3年8月に秀吉が死去して7年に渡る朝鮮出兵が終わると共に、名護屋城の役割も終了し、建物を破却して大手門などの資材が唐津城の築城や伊達政宗の仙台城築城材として移築された。