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長篠城(愛知県)

ながしのじょう【城】


[長篠城(愛知県)]
永正5年、菅沼元成によって築かれたという。長篠菅沼氏は荒尾菅沼氏・田峯菅沼氏とともに設楽地方の山家三方衆のひとつであった。当初は今川氏、次いで徳川氏に従ったが、信玄の勢力が伸びてくると、山家三方衆はそろって武田方についた。しかし、徳川方の反攻で城主菅沼正貞は信濃に退き、長篠の戦い(1575)のときは、家康の宿将奥平信昌が城将であった。城は寒狭川と三輪川が合流して豊川となるあたりの渓谷から数十メートルの段丘上に、狭間を設けた土塀をめぐらし、外側に犬走りもあった。内側は野牛曲輪で現在は本丸との境にJR飯田線が走っている。また、本丸とその周辺は公園となり、土塁と空堀の跡が残る。