修正依頼



都於郡城(宮崎県)

とのこおりじょう【城】


[都於郡城(宮崎県)]
足利尊氏によって日向国都於郡を与えられた伊東祐持が建武4年に築いた。以後、伊東氏の本城として拡張整備されたが、天正5年に薩摩の島津義久に敗れて日向を去った。その後は島津氏の所領となり、天正15年の豊臣秀吉の九州進攻後は、佐土原・島津氏が元和元年の一国一城令により廃城となるまで所領とした。