修正依頼



鶴ヶ岡城)(山形県)

つるがおかじょう【城】


[鶴ヶ岡城)(山形県)]
古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉御家人武藤景頼によって築城された。ほぼ方形の本丸を二の丸・三の丸で囲む輪郭式城郭で、天守はなかったが四基の櫓を備えていた。文化12年(1815)以降は、有名な藩校致道館が酒井忠器によって三の丸に移転されている。酒井忠勝が信州松代より入城、以後貞享元年(1648)まで忠勝・忠当・忠義3代にわたって整備され、13万8千(後14万・幕末期17万)石の庄内藩酒井氏の府城となった。