修正依頼



土浦城(茨城県)

つちうらじょう【城】


[土浦城(茨城県)]
永享年間(1429~41)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。江戸時代に完成した城は、霞ヶ浦近くの低地に位置し、水を何重にもめぐらせた平城である。本丸はやや東西に長い長方形である。周囲に水をたたえた堀をめぐらせ、堀に接する内側に土塁をめぐらせ、土塁の上に塀を建てた。出入りには南に二階建ての太鼓櫓門、北東に霞門を設けた。東西に櫓を築いた。土塁上部までの規模は約95m×約55m、土塁敷まで含めた規模は101m×64m、水堀まで含めると約118×82mである。ただし、かつて防衛のため屈曲していた堀・土塁線は現在では直線となっている。明治38年(1905年)に放火によって外丸御殿が焼失し、その他はすべて廃城のときに取り壊されてなくなり、往時をしのばせるものはない。