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千早城(大阪府)

ちはやじょう【城】


[千早城(大阪府)]
正慶元年、楠木正成によって築かれた楠木氏の詰城。本城が上赤阪城、出城が下赤阪城。正慶2年、鎌倉幕府の大軍を千人足らずの小勢で100日に及ぶ千早城籠城戦を行ったことで有名で、鎌倉幕府滅亡のきっかけともなった。建武以降、千早城は楠木氏の根拠地となったが、明徳3年、楠木正勝の時に北朝方の畠山基国によって攻められ落城した。楠木正成が築城して以来60年にわたって楠木氏の詰めの城であったが、この落城により廃城となった。