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淡輪城(大阪府)

たんのわじょう【城】


[淡輪城(大阪府)]
元久年間に淡輪に土着した淡輪氏によって鎌倉時代に築かれた。南北朝時代の建武3年には淡輪重氏が足利方として従軍し、観応元年に南朝方へと転じた。淡輪氏は、その後は有力な和泉国人の一人として勢力を誇り、織田信長、豊臣秀吉に仕えた淡輪徹斎は、豊臣秀次の失脚に連座して没落。徹斎の長子新兵衛重利は紀州浅野氏の家臣となり、次子は大阪方として元和元年に樫井合戦にて戦死した。