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玉縄城(神奈川県)

たまなわじょう【城】


[玉縄城(神奈川県)]
伊豆、相模地方を平定した伊勢新九郎宗瑞(北条早雲)が、永正9年(1512)新井城の三浦氏攻略の足場として玉縄城を築いた。初代城主には北条氏時が選任され、その後は氏繁、氏舜、氏勝と城主が変わったが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、徳川家康の策略により説得を受けた氏勝はついに玉縄城を開城、後北条氏滅亡後は家康の家臣が入封して玉縄藩となったが元禄16年(1703)には廃藩となった。その後の玉縄城は氏繁、氏舜、氏勝と城主が変わったが天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、元禄16年(1703)には廃藩となった。