修正依頼



高崎城(群馬県)

たかさきじょう【城】


[高崎城(群馬県)]
烏川に沿って築城された輪郭梯郭複合式の平城で、本丸には天守と4基の隅櫓があった。本丸を囲むように、西の丸、梅の木郭、榎郭、西曲輪、瓦小屋があり、二の丸、三の丸が梯郭式で構えられていた。城の周りは土塁で囲まれ、石塁はほとんど造られなかった。小田原攻めの後、関東には徳川家康が入部し、慶長2年(1597年)家康の命により井伊直政が、旧和田城の城地に近代城郭を築いた。明治4年(1871年)廃藩置県により当城は廃城となり、以後建造物は移築もしくは破却され、跡地の大半は歩兵第15連隊の駐屯地として使用された。現在、お堀の周辺は高崎城址公園として整備されている。