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反町館(群馬県)

そりまちやかたあと【城】


[反町館(群馬県)]
築造は鎌倉時代から南北朝時代と推定され、新田義貞が成人後に居住したと伝えられる、三重の塁濠に囲まれた堅固な平城で、戦国時代には、金山城の支城として由良氏の臣矢内時英が居城し、天正9年(1584)北条氏が金山城攻略に先立ちこの地を奪い本陣としたが、天正15年(1590)、豊臣秀吉の北条攻めで廃城したと伝えられる。土塁は基底部で10~13m、高さ4~6mあり、堀は幅10~20mある。館跡の平面形は凸字形で、南側で約120m、北側で約73mあり、東西両側に「折」を持っている。出入り口は南東角と西側の2箇所にあった。現在は照明寺境内になり、本堂裏には「不鳴之池とよばれる日本庭園がある。また、照明寺は厄除け薬師の寺としても親しまれている。