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墨俣城(岐阜県)

すのまたじょう【城】


[墨俣城(岐阜県)]
永禄9年、豊臣秀吉が、まだ木下藤吉郎と称するころに一夜にして築いたという逸話で知られ、それにちなんで一夜城とも呼ばれる。長良川と平行して流れる犀川が二つ分かれる三角地帯にあり、稲葉山城(岐阜城)の攻略をねらう織田信長が美濃国内の前線基地として築くため、その城地として選んだのが墨俣であった。永禄10年(1567)に信長が美濃稲葉山城(岐阜城)を攻略したことで墨俣の砦の存在意義が薄れ、廃城となった。