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新府城(山梨県)

しんぷじょう【城】


[新府城(山梨県)]
正式には新府中韮崎城といい、天正9年(1581)、武田勝頼が織田・徳川軍を迎撃するために真田昌幸に命じて築城した平山城。石垣をほとんど使わずに堀や土塁、郭を複雑に配置し、城域は南北600m、東西550m、外堀の水準と本丸の標高差80m。最高所は本丸で、東西90m、南北120m。天正10年、織田勢の甲斐侵により武田勝頼はこの城に火を放って退いた。