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志波城(岩手県)

しわじょう【城】


[志波城(岩手県)]
坂上田村麻呂が胆沢地方において蝦夷の首長アテルイを滅ぼした翌年の803年に、城柵として北上川・雫石川合流地近くに造営された。これにより、朝廷は北上川北部まで律令制の支配を及ぼすことが可能となった。その後、雫石川氾濫による水害のため、南方(現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田)に徳丹城が造営され、志波城は約10年でその役割を終えた。