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下赤坂城(大阪府)

しもあかさかじょう【城】


[下赤坂城(大阪府)]
1331(元弘元)年、楠木正成が築城した。同年、鎌倉幕府の大軍を迎えて奇策でほんろうし、篭城20日、金剛山中へと逃れた。正慶元・元弘2年(1332)、下赤坂城を奪還すると、周辺に17か所もの支城・砦群を構築する。翌年、隠岐に流されていた後醍醐天皇が伯耆に脱出、千早城に拠った正成は、知略の限りを尽くして大軍を翻弄し、100日間も幕府軍を釘付けにした。その間、幕府に反旗を翻した足利高(尊)氏が六波羅探題を攻略し、新田義貞が鎌倉を攻め、鎌倉幕府は滅亡する。下赤坂城は南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年(正平15年、1360)に落城した。