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猿啄城(岐阜県)

さるばみじょう【城】


[猿啄城(岐阜県)]
別の名を猿飛城、根尾山城とも呼んだ。記録によれば、応永のころ(1407年)西村豊前守善政の城であったという。下って享禄3年(1530)より田原左衛門の居城となる。天文16年(1547)同族の多治見修理は謀叛して城を奪い、以後18年間在城したが、永禄8年(1565)織田信長は丹羽長秀に命じて中美濃を攻めさせ、その緒戦で先陣の河尻鎮吉によって落城した。このとき、信長は幸先よしと猿啄の地名を勝山と改称、以後勝山城となる。功により河尻鎮吉は勝山城主となるが、天正3年(1575)岩村城に移るに及んで廃城となった。(現地案内板より)