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鮫ヶ尾城(新潟県)

さめがおじょう【城】


[鮫ヶ尾城(新潟県)]
標高183メートル、本丸跡からは高田平野、日本海、妙高連峰が一望でき、前は関川と矢代川、後ろは険しい南葉連峰が迫り、春日山城の支城として位置した。山頂を中心に規模の大きな郭や空堀がある。築城の時期や城主については定かではないが、永禄年間から天正年間にかけて築城されたと考えられる。謙信の死後、その跡目を巡って二人の養子、上杉景勝(上田長尾氏)と北条氏康の子、上杉三郎景虎が争った「御館の乱」で、敗れた影虎がこの城で自刃した。