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児山城(栃木県)

こやまじょう【城】


[児山城(栃木県)]
鎌倉時代後期(13世紀後半)に宇都宮頼綱の四男・多功宗朝が、その二男朝定に児山郷を分封し、宇都宮城の南を守る支城として築城したと伝えられている。以後、朝定は姓を児山氏と改めた。姿川東岸の台地上に、谷や丘陵をたくみに利用して築かれた平城。永禄元年(1558年)、上杉謙信が多功城を攻撃した際に、児山城主であった児山兼朝が討死し、以後廃城となった。