修正依頼



此隅山城(兵庫県)

このすみやまじょう【城】


[此隅山城(兵庫県)]
文中年間(1372-74)に山名師義によって築城されたと伝えられる。標高140mの此隅山山頂に主郭を置き、これを中心に四方にのびる尾根上に曲輪を多数設けている。永禄12年(1569)と天正8年(1580)の二度、天下統一をねらう木下秀吉らの織田軍が但馬に侵攻したときに廃城となり、その後、有子山城が築かれたといわれる。