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古河公方館(茨城県)

こがくぼうやかた【城】


[古河公方館(茨城県)]
享徳の乱により鎌倉を追われた足利成氏により築かれ、成氏が古河城に移り一時廃止されたが、後に義氏が入り、義親までの五代の居館として用いられた。御所沼に向けて半島状に延びる台地上に占地し、三方を囲む御所沼を天然の水堀とし、台地繋がりは空堀で断ち切る構造となっている。現在明確な遺構が残るのはこの空堀のみであるが、芋ころがし坂付近にも堀跡と考えられる地形が残っている。