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霧山城(三重県)

きりやまじょう【城】


[霧山城(三重県)]
康永元年・興国3年(1342)北畠顕能によって築かれた。北畠氏は村上源氏で京の北畠に居住した公家であったが、南朝方として戦ったが、足利氏に敗れて康永元年に落城。その後、南北朝の合体や後小松天皇譲位による南北決裂などもあったが、南朝方は次第に勢力を削がれ北畠氏も一守護大名となっていった。戦国期に入ると織田信長が南伊勢に侵攻し、北畠具教は大河内城に籠城し抵抗したが、やがて信長の次男信雄を北畠の養子として家督を譲ることで和解した。具教は三瀬館に潜み信雄に対抗しようとしたが天正4年(1576年)信雄の命によって暗殺された。