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北秋津城(埼玉県)

きたあきつじょう【城】


[北秋津城(埼玉県)]
高さ60mから70mの洪積台地の南端に所在し南側の比高は10mほど。北側は平坦な地形で繋がっているため、遺構の二重土塁と空堀の防御施設が構築されていたものと考えられる。台地縁占地型式の単郭方形館跡とみられ、鎌倉初期の地方豪族の館として築かれたものと推定されている。その後14世紀の中ごろの南北朝の時代に大石信重が武蔵国守護代として多摩・入間13郷の領主となり、その館として利用された可能性があるという説もある。また、後北条氏支配の時代にはその支城とされたという記録もあるが、その史実としての詳細は不明。