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神戸城(三重県)

かんべじょう【城】


[神戸城(三重県)]
伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏4代具盛が天文年間(1532~1555)に築城したという。1568年(永禄11)、伊勢に侵攻してきた織田信長と神戸具盛は、信長の三男信孝を養子に入れることで和睦する。天正8年(1580)、神戸(織田)信孝は神戸城の大改修を行い、金箔瓦を用いた複合天守を築き拡張した。“関が原の役”(1600年)後は一柳直盛が入部し、その後15年間は幕府直轄地となり、石川氏3代と続く。享保17年(1732)、近江膳所の本多氏の分家本多忠統が入ると形態を無くしていた城の大修築を行い、小藩ながらも、約140年間本多氏7代忠貫まで続き、明治8年、城は解体された。