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感状山城(兵庫県)

かんじょうさんじょう【城】


[感状山城(兵庫県)]
瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられている。その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武3年(1336)には、新田義貞軍の進攻に対して赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐がこの城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ感状山城と呼ばれるようになったと伝えられている。城郭の構成は連郭式・階郭式の縄張で、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されている。