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亀ヶ崎城(山形県)

かめがさきじょう【城】


[亀ヶ崎城(山形県)]
文明10(1478)、大宝寺氏(武藤氏)が築城。最上川と新井田川の合流する場所にあって三重の堀に守られており、まるで水城のようであった。石垣は築かれず、天守や櫓もなく三の丸西北部の大手門が櫓門として、城郭としての威容を誇っていた。明治維新に際し、新政府軍に接収されたが、現在は、酒田東高校の校庭になっていて、西側周囲に高さ3mの土塁が残っている。