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月山富田城(島根県)

がっさんとだじょう【城】


[月山富田城(島根県)]
天然の地形を利用した難攻不落の城で、「天空の城」とも呼ばれた。築城年代は定かではないが、鎌倉・室町時代に佐々木・塩冶・山名氏と歴代の守護が居城とした。明徳2年に京極高詮が守護となると、一族の尼子持久を守護代として富田城主とした。以後、尼子氏は出雲一国のほか因幡、伯耆、隠岐、石見を領し、さらに安芸、備後、備前、美作、備中、播磨までを勢力下におき、山陰、山陽11か国の戦国大名としてこの地に勢力を伸ばしたが、永禄9年、毛利元就に降伏して尼子氏は滅亡した。慶長5年の関ヶ原後は堀尾吉晴・忠氏父子が城したが、城下町を発展させるには富田城は狭すぎるとして慶長16年に松江城を築いて移り、このとき富田城は廃城となった。