修正依頼



交野城(大阪府)

かたのじょう【城】


[交野城(大阪府)]
文和元年(1351)、南朝方だった安見清儀が築城した。安見氏はその後北朝方となり、河内守護の畠山氏の重臣として、遊佐・木沢両氏と並んで河内守護代となったこともあった。戦国時代、清儀から9代後の安見直政は、畠山氏に代わって河内守護と称したが、三好長慶に攻められ一時大和へ逃れた。永禄12年(1569)、織田信長の河内統一後、所領を回復し交野城に居城した。安見直政が病没後、大和筒井氏に交野城は攻められ落城し、天正3年(1575)織田信長の命により廃城となった。