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加古川城(兵庫県)

かこがわじょう【城】


[加古川城(兵庫県)]
寿永3年、平氏追討の戦功により糟屋有数が源頼朝からこの地を与えたれ築城した。鎌倉時代には播磨守護所で、守護代糟屋氏が在城した。天正5年、羽柴秀吉が毛利討伐のため播磨へ入ったときに加古川城(糟屋の館)で軍議を開き、その後、12代城主糟屋武則は秀吉に従って、賤ヶ岳の合戦では七本槍の一人に数えられたが、関ヶ原の戦いで西軍に付いたために領土没収。廃城となった。