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飫肥城(宮崎県)

おびじょう【城】


[飫肥城(宮崎県)]
別称、舞鶴城。正平年間に土持氏が築いたという伝えがあるが築城年代は定かではない。戦国時代は島津氏が所領していたが、永禄11年に都於郡城主伊東義祐がこれを攻め取り、天正5年には、逆に島津氏が伊東義祐を追い落として奪還した。天正15年、豊臣秀吉の九州進攻後は伊東祐兵が秀吉によって飫肥の地を与えられ日向に戻り、以後、明治まで14代続いた。城は貞享元年の大地震で損壊したが、その折、近世城郭へと改修された。