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大溝城(滋賀県)

おおみぞじょう【城】


[大溝城(滋賀県)]
天正7年、織田信澄(信長の弟、勘十郎信行の子)が高島郡を領し、明智光秀の縄張りによって築城した。天正10年、本能寺の変によって、信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、明智方と見られて大坂で落命する。信澄の死後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次が入れ替わり入城する。元和5年、京極氏に替わり分部光信が、入封するが、元和一国一城令によって三の丸を残して破却された。分部氏は、残された三の丸に陣屋を構え、明治まで代々この地を治めた。