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大田原城(栃木県)

おおたわらじょう【城】


[大田原城(栃木県)]
大田原藩の藩庁で、龍城、龍体城ともいう。天文12年(1543年)大田原資清によって築かれた。蛇尾川に沿って細長く連なる高さ約25mの丘陵とその西麓の平地に築かれた平山城。東は蛇尾川の断崖があり、一番高い所に本丸があった。南側に二の丸、三の丸、北に北曲輪を置き、西麓の平地には西曲輪を配した作りになっている。大手は西曲輪の西側の奥州街道に面し、搦手門は北側にあった。明治元年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍の最前線として会津藩士達と戦い、5月には会津側の攻撃で三の丸まで侵入されるが火薬庫の爆発により双方とも撤退して落城だけは免れた。廃城後は公園として整備された。