修正依頼



大多喜城(千葉県)

おおたきじょう【城】


[大多喜城(千葉県)]
城を築いたのは徳川家康の家臣、本多忠勝と考えられてきたが、現在の城の地下に大規模な城の遺構があることから、大永元年(1521年)に真里谷信清が築いたものとされる。天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、配下の本多忠勝が三層四階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行った。以後、この城は大多喜藩の拠点として幕末まで重要な役割を果たしてきた。