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淡河城(兵庫県)

おうごじょう【城】


[淡河城(兵庫県)]
築城年代は定かではないが、鎌倉時代に北条時盛が子の朝盛に淡河荘を与えたことから、以後朝盛の子孫が淡河氏を称した。南北朝から室町時代にかけて、淡河氏は播磨守護赤松氏に属し、文明18年に東播磨8郡の守護代に別所則治が三木城に入ると、淡河氏は三木氏に従った。天正7年、城主淡河定範は別所長治に従ったために羽柴秀吉に攻められ落城した。淡河氏滅亡後は有馬則頼に与えられ、慶長5年まで居城した。有馬氏が関ヶ原の戦功によって摂津三田に移ると淡河城は廃城となった。